コンテンツの海を漂うのBlog(続)

徒然コンテンツの感想Blog。嗜好は偏っておりますのでご注意ください(BLが多い)。

「さらざんまい」第7話までの感想と考察〜愛と欲望で繋がる男たちの物語〜

*考察が、考え直したり新たに調べたりすることによって、随時変更&加筆されます。

備忘録的に書いてまして・・・すいません・・・。

 

すしざんまいも銀のさらもさらざんまいも大好きな寿司好きのワタクシ、

すっかりアニメ「さらざんまい」ざんまいです。

めっちゃ面白くないですか??

中毒性がすごいです。

カワウソイヤァが頭の中でソイヤァソイヤァ無限ループしてます。

 

 プライムビデオで観れるよ!!

 

 

 ブルレイ欲しいな。

 

 

「さらざんまい」とは??

 

少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』『ユリ熊嵐』を手掛けた幾原邦彦によるオリジナルアニメ作品。

…作品のテーマは『つながり』、キャッチコピーは「つながっても、見失っても。手放すな、欲望は君の命だ。」で、PV中でも度々使われている。

 

wikipedia「さらざんまい」より引用。

 

舞台は浅草。それぞれに問題を抱えた中学3年生ボーイズ、一稀(かずき)、悠(とおい)、燕太(えんた)はふとしたことからカッパ国の王子ケッピによって尻子玉を抜かれてカッパに変えられてしまい、なぜか「カパゾンビ」の尻子玉を奪うという任務を任される・・・

と文章で説明してもWhat is this?で、1話を見てもWhat is this?なのですが、2話、3話と話が進むにつれて段々と世界観やキャラクターが分かり始めじわじわと面白さが増してきます!

 

 

ということで、サラッと「さらざんまい」感想です。

ネタバレ含む!! なお、アニメ7話まで(先行は観ていない)&小説「さらざんまい」(上)&「レオとマブ ふたりはさらざんまい」につき漏洩済dish。

 

 

 

さらざんまい (上)

さらざんまい (上)

 

 

こちら漏洩してます。

スターティングガイドも欲しいな。

 

以下、1さらざんまいの世界について、2主人公一稀のつながり、3つながりと欲望について、4レオマブのつながり、についてサラッと個人的感想になります。

 

1 さらざんまいの世界

さらざんまいの世界について、現時点で分かっていることはこんな感じ。

 

 

・尻の穴の奥の方にある(・・・)尻子玉というのは、欲望エネルギーを溜め込んでいる臓器。人間が尻子玉を抜かれるとカッパになってしまう(生きていて、死んでいる状態)。

 

・「さらざんまい」とは身も心も繋がること。中3ボーイズがカパゾンビの尻子玉の欲望エネルギーをケッピに転送するときに身も心も繋がる「さらざんまい」状態になる。「さらざんまい」すると、お互いの記憶や意識を順に共有する(「漏洩します」)。

 

・昔(?最近かも)カッパ王国カワウソ帝国が争っていた。カッパ王国歴333年、カワウソ王国がカッパ王国へ侵攻し、戦争は終了。

→このカッパ王国滅亡時のイラストに、凌雲閣と思しき建物が描かれている。凌雲閣が関東大震災で崩壊したことから、カッパカワウソ戦争=関東大震災(1923年)か。

すると、カッパ王国は1950年位から始まっており、1950年は豊臣秀吉の天下統一の年。江戸時代の始まる少し前くらい。1923年は昭和時代の少し前。

 

カワウソ帝国はカッパの欲望エネルギーを奪い尽くし、ケッピはカッパ王国の生き残り。カワウソ帝国は今度は人間の欲望エネルギーに目をつけている。

 

・このカッパ王国とカワウソ帝国の最後の争いで、ケッピの欲望の暴走?「ダダダダダークネス」(What is this?)からレオをかばおうとしてマブは亡くなっている

→この時のレオマブの服装は明治時代〜の警官の制服に似ているとのこと。やはりカッパカワウソ戦争=関東大震災がモチーフで良さそう。東日本大震災など、大震災を時代の節目と捉えている様子。

 

・この後カワウソ達に拾われたレオマブ。亡くなったマブはカワウソの技術力で機械の心臓をもって再現される(元のマブの身体で心臓だけ機械になった)?

 →カワウソの技術力とは近代科学技術?(科学技術庁とか言ってるし・・・)

カワウソの人間界への侵攻とは、人間が科学技術に支配されているみたいな、マトリックス的なもののメタファー?

 

・現在カワウソ帝国の指示で人間界へ送られて、カワウソへ欲望エネルギーを転送するために動いているレオとマブ、欲望搾取で人間を箱に入れて(その後その人間は遺体で発見される)、その欲望を奪い取りカパゾンビにしてしまう。欲望搾取するとき、レオがマブの機械の心臓を取り出す。

カワウソイヤア!!!

カパゾンビは尻子玉を抜かれると昇天?成仏?して存在自体がなかったことになる。

(現世とあの世の中間であるカッパの世界から、あの世へ行くのか)

 

・浅草の街のあちこちにある「ア」のマーク。「ハートの中のカワウソ(が尻子玉を狙っている?)」マークと表裏一体にあるような表現。

→ア=愛、カワウソ=欲望、かと思っていたのですが、アをペタッと貼られた燕太が急にケッピとカッパ一稀たちの姿が見えるようになったこと、カッパになった一稀達が生きていて死んでいること、カッパになった後の世界(欲望フィールド)について人の世の裏側と説明されていること、からすると、「ア」は「あの世」か?カッパはあの世と現世の間にいる生き物。生きていて死んでいるとは、カッパ=現世に留まっている死んだ人の魂、みたいに考えると何となくしっくり来る。

カワウソマークはそれと表裏一体なので「現世」、つまり「現代社会」か。

現代社会が人間の欲望を糧として動いていることのメタファーかもしれない。

 

 

 

・浅草のご当地アイドル吾妻サラの正体もカッパ。ケッピとステディな関係?

 

・「ふたりはさらざんまい」で赤ちゃんサラを拾ったレオマブが赤ちゃんサラを育てている。

 

 

→過去のイクニ作品観ていればもっと考察しやすいのかも。&関東大震災・河童についてもっと調べてみると何かわかりそう。レオマブ関係は後でもう少し考察。

 

2 一稀のつながり

やや頑固でマイペースな主人公の一稀。

 

 

大抵の人間が一番初めに繋がる人は家族ですが、その家族との血のつながりがないことが判明してアイデンティティクライシスに陥らない人間はいないのではないでしょうか。

 

 

自分のせい(自分が本当の母親を見送ろうとしたせい)で歩けなくなった弟、

その罪悪感&自分だけ血が繋がっていないという事実から、弟と繋がることは許されないと思ってるけれど、本当は繋がりたい。

 

 

そんな葛藤の中で、一稀は、女装して女性アイドル吾妻サラに成りすまして弟とメールをするという突飛な行動に出ます。可愛いから許す。

しかしまだ中学3年生、自分の弟(家族)に対する想い、繋がりたいという欲望でいっぱいで、春河の自分への想い、育ての両親の自分への想い、燕太や悠の自分への想いには比較的鈍感です。余裕がないんですね。中学3年生に余裕を求めるのも変ですが。

 

 

けれど、6話で、皆の(特に春河の)自分への愛に気付いて自分を犠牲にして春河を救おうとするのを思いとどまる。

 

 

春河は血のつながりがないことが分かって落ち込んでいたであろう一稀に対しても、「(自分たちは)丸い円で繋がっているんだよ」と言って血のつながりがなくてもつながっていることを教えてくれた人。一稀にとってはとても大切な人ですね。

 

 

 

もう・・・自分兄弟愛に弱いんですよ・・・「NIGHT HEAD」の頃からもう弱くて(昭和)。

 

ナイト・ヘッド〈1〉 (角川文庫)

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ナイトヘッド DVD BOXセット

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*まさか武田真治氏が筋肉は裏切らないとか言い出すマッチョマンに変貌するなんて当時誰が予想しただろうか・・・。

 

 

愛は誰かに対して向けるものだけれど一方通行ではない、愛はつながっている。愛した人から愛されたり、別の誰かが自分を愛してくれたり、それは丸い円みたいにつながっている。そんな人類愛・・・?に近いような概念を感じます。

 

 

3 つながりと欲望について

尻子玉(欲望)というのは人間が人間であるために必要なもので、それがなくなると円の外に出てしまい、誰とも繋がらず始まらず終わらない。

 

それ(他人とのつながりがない=存在を忘れられること)は人間にとって死んでいる(生きていて死んでいる)と同じこと。

 

 

これは、蕎麦屋がなくなることは両親の大切にしていたものが本当に死んでしまうことだと考えていた悠の想いに繋がります。

 

 

自分も人間が最も渇望するものは「人とのつながり」だと思います。人と繋がりたいという欲望は人の生きる原動力(かつ身を滅ぼす元)なのではないでしょうか。

 

 

春河が自分で悪いことをしたと考えているように、春河が一稀の生みの親に一稀に近づかないでと言ったのは自分本位のことにも確かに思える。

 

 

だけれど春河の想いが愛だと判断されたのは、一稀にそばにいて欲しいという自分の欲望はありつつも、一稀のことを本当に大切に思う愛情が根底にあるからかな・・・。愛と欲望の違いは中々明確に区別できるものではないような気がしますが、やはりカパゾンビにされた人たちの感情と春河の感情は明確に違いますよね。

 

 

愛情はつながっているもの、欲望はつながらず自分だけで完結している。

独りよがりな欲望に溺れる者は「始まらず、終わらず、繋がれない者たち」

これは一見他人と「繋がりたい」という気持ちのようでいて、実は繋がる事よりも自分のために他人を「利用しようとしている」だけで「真に繋がる」ことを目指しているわけではないのでは。

 

 

「つながり」については、ananでマブの中の人、細谷氏が語っていた内容が面白かったです。細谷氏は「結局人と人が繋がることはできない、けれどお互いの考えや個性を尊重することはできる」と話していましたが、とても大人な意見だなと。確かに、人は結局のところ完全にわかり合うことは難しいと自分も思います。親子でも、夫婦でも、兄弟姉妹でも、完全にお互いのことを理解することは難しい。

完全に分かり合えるという考えは多分危険で、相手に期待しすぎたり、自分の欲望をぶつけたりしてしまう。正にさらざんまいの燕太くんやレオはつながりを強く求めすぎているという見方もできる。

 

 

まあ、しかし、だからこそ、本来孤独だからこそ、人はつながりを必死に求めるのだし、本来孤独だからこそ断片的にでもつながった時の輝きは尊い人間の生の輝きなのかなと思います。

 

 

人は1人で生まれて1人で死んでいくというのも事実でありますし、他方で人は1人では生きていけず必ず誰かとつながっているというのも事実なのではないでしょうか。

 

 

人とつながりたくてもがいて、でも上手くいかなかったり自分本位になってしまったり裏切られたり、無償の愛をもらったり与えたりしてつながる瞬間があったり、欲望をぶつけたりぶつけられたり、そんなことが生きるっていうことなのかもしれません。

 

 

繋がることは難しいけど、繋がりたい故に苦しく辛い思いをすることも多いけれど、

「繋がることを諦めるな、欲望を(繋がること、生きること)諦めるな」

さらざんまいからは、そんな強烈なメッセージを感じます。

繋がることの難しさを散々描きながら、それでも諦めるなと迫ってくるアニメなのかなと。

 

4 レオマブのつながり

7話まで謎の多かった玲央と真武の2人。

ふたりはさらざんまいやTwitterでゆるふわな日常を繰り広げていたのに、アニメ本編では何だか重々しい雰囲気が漂っています。

 

時間軸が謎ですが、レオマブのTwitterを見る限り、以下のことが何となく分かってます。

・浅草で警官として勤務する2人

・カワウソマークが街に現れ始める(浅草に異変が。カワウソが人間界に進出し始める?)、同時に何だか忙しくなり、異変に敏感に反応するマブ(マブ「確かに気づかないうちに増えているな」=上から何かを聞いて、それで「確かに」増えているなという発言)。

・マブだけ上から呼び出されたり。マブだけ上から何か任務を依頼されて極秘で遂行していた可能性(マブ「もうここは駄目だな」レオ「お前、俺に隠してることあるだろ」)。

・危険な任務を遂行していることが分かっているせいか、「久しぶりにお前の料理が食べたい」と言ったり唐突にラブレター?を送るマブ(涙)。マブ「お前が思っているほど危険な任務じゃない」→明らかに危険な任務

・上からの呼び出しの時に「ア」のマーク。「ア」はカッパ(あの世)のマーク?すると2人はカッパ王国の人間?

 

・危険な任務を極秘で依頼されて遂行していることがレオにバレた後に、黙って行ってしまうマブ。

・レオ「こんな腐った世界でも俺は欲望を手放さない」=マブのいないこんな腐った世界でも俺は欲望(=自分の生きる意味=マブ)を諦めない?

アニメの世界。

レオマブは同じく浅草で警官をしているが、カワウソの指示で欲望を搾取している。

 

時系列は、

 

・カッパカワウソ戦争(1923年 関東大震災)でマブ死亡

マブが「欲望を手放すな」と。「お前は生きろ」と言っている感じでしょうか。

→レオマブ、カワウソに拾われる

・・・

→「ふたりはさらざんまい」の世界線

→?年11月11日〜 レオマブTwitter開始

→?年3月1日  マブ「今日はいつもと何かが違うな」カワウソマークが街に。

3月、その後、カワウソマークが街に増え始める。マブが上からの秘密の指示で忙しくし始める。

→?年3月29日 マブ失踪

・・・

→ カワウソの技術力でマブは機械の心臓を持って生き返る

 *レオがエレベーターを登る時に現代の警官の格好をしているので、マブはそんな目で俺を見ないのシーンはここかな?と。このシーンの後に欲望搾取を始めるとするとしっくりくる。

→?年3月31日 Twitter終了 レオ「こんな腐った世界でも俺は欲望を手放さない」

 →2019年4月11日〜? アニメの世界線

 

 

かな??? 時系列については正直わからん・・・。

Twitterの時系列が普通に2018年〜2019年かと思っていましたが、スカイツリーがない、花やしきのタワーがある、といった背景描写からおそらくもう少し前。

 

この?年の3月から始まる異変(カワウソの侵攻)、そしてマブの失踪、この辺りの時期に現実社会で何か起こったかな? 2011年に東日本大震災があったので、街の異変を東日本大震災と重ねている可能性もありそう。

 

 

*イクニ監督は、ananで「現代は時代の転換期」だと言っているんですよね。

戦後の物質社会があって、それが東日本大震災で崩れて、物質というものの脆さに人々が気付いて、物質よりももっと精神的な、人との繋がりを強く求める社会に移行しているんじゃないかと、そんなことを語っています。

 

やっぱり大震災を時代の転換点と捉えているようですね。

〜江戸時代(精神の時代)→関東大震災→戦争へ、そして戦後(近代科学技術、物質の時代)→東日本大震災→現代(精神の時代)

 

カッパとカワウソの対立というのは、その時代における人間の方向性みたいなものを暗に示しているのかもしれません。

レオマブは、時代に翻弄されながらもお互いを求めるという、正に「ロミオとジュリエット」等の古典で描かれたテーマを男性同士でやろうとしているのでしょうか。

 

 

はあ・・・しかし、金髪で色黒のレオと黒髪眼鏡で色白のマブ、このビジュアルだけでソバ何杯も食べられます!!!

 

 

んで、レオの方が器用で意外としっかり者でマブはちょっと不器用な天然、レオのタバコKOOLの話とかマブが裸エプロン(残念ながら下は履いている)でないと料理できないとか細々とした設定に萌え殺されるんですが。

ふたさらとTwitterでゆるふわを、アニメ本編でシリアスを、両方味わえる美味しさね。

 

 

7話でマッドサイエンティストぽい変態紳士のカワウソにエロいことされるマブをありがとう。

 

 

このエロウソは相当変態レベル高いですよね。2人がお互いを想いあっているのを知っていて、その想いを利用して自分たちの駒として使っているわけですが、レオの望む自分になりたいマブにメンテしてあげて多少の協力?しながらもNTRプレイしているわけです。

 

 

レオは何だかマブに依存しているように思えますね。「自分の中のマブ」に恋しているようなところが感じられます。近くにいるのに、いや近くにいるからこそ相手が見えていない。まさに恋は盲目とはこのことか。

 

 

マブは結構きちんとレオのことを見ていてしっかりと想っているのに、問題はレオの気持ちであり、だからこそOPの映像でもレオ→マブの方向性が出てくるんだろうなと。

 

 

マブのことを大切に想っているのは確かなんですが、「マブがいないと自分はダメなんだ」という気持ちが強すぎて、「1人で逝くなんて許さない」「俺に二度もマブを殺せって言うのか」といった台詞が全て自分の気持ちにフォーカスしていて、何となく相手に執着するあまり自分の気持ちに支配されているような、ある意味燕太くんと似たものを感じます。ややストーカー気質っぽいですね。そんなところがとてもリアルで人間らしいですが。そんなレオに無償の愛を注いでいるのがマブという感じです。

 

 

自分の求めるつながりのために割と何でもするというのは、一稀も燕太も悠もレオも皆同じですね。

 

 

今の所、アニメのレオマブはマブへの想いが強すぎて破滅へ進んでいきそうなレオとそれを分かりつつもレオを大切に思うためレオと心中する覚悟のマブという悲劇にしか見えないのですが・・・そんな中にも二人がお互いに大切に想う気持ちが通じる瞬間が見れたらいいなと、レオマブガチ勢の自分としては切実に楽しみにしてます

 

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