コンテンツの海を漂うのBlog(続)

徒然コンテンツの感想Blog。嗜好は偏っておりますのでご注意ください(BLが多い)。

「さらざんまい」9〜11話感想〜自分の欲望フィールドから飛びだせ〜

さらざんまいについては、また総括としての感想を書きたい。

ちょっと自分の中でまだ消化しきれていない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとまずレオマブを中心に9〜11話についての感想をつらつらと。

 

レオマブは、予想はしていたし、そう行った描写が散々されていたのでまあそうかなとは思っていました。

思っていましたよ。しかし、ここまでガチだとは・・・!!

 

素晴らしいです。

 

アニメで、ちゃんとふざけたりせずに正面から男性2人のすれ違い愛憎劇を真剣に描くのは珍しくてイリオモテヤマネコのように貴重だと思います。

 

作品に関わったみな皆様ありがとう・・・!!

 

 

 

監督がBLを描きたいわけではなくて、これは昨今のBLの盛り上がりに乗じてBLの皮を被って何かもっと伝えたいことが裏に隠れているんだろうな、と言うのは分かるんですが。

それでもちゃんとエンタメとして面白いからいち視聴者としてはそれに乗っかって楽しんじゃおうと

 

それにレオマブを例えば男女でやったら、なんか典型的で陳腐な感じになっていたと思うんですよね。

男女という組み合わせが悪いと言うよりも、男女の話というのは古今東西散々描かれてきたから、何の目新しさもインパクトもない。

 

ちゃんとエンタメとして作ってくれていますが、しかしメタファーがてんこ盛りで概念的で中々難しいですね。本来はある程度観る人を選ぶ作品なんでしょうね。

 

 

 

レオマブに関しては、何だか踊ってカワウソイヤアしてる美形警官2人がいると思ったら、そのうちの1人マブは機械の心臓を持った人形!?と思ったら、レオは平気で人を撃つなど突然悪役み増してきて、2人はどうやらデキていた感出してきたと思ったらNTRで揉めてカワウソは概念だった・・・!????

 

カオス極まりないです。面白いんですが、もうね、ちょっと尺足りないよね・・・

 

 

 

レオマブについてはカッパ側の人間(カッパ?)ではないかという予想は皆さんもしていたかと思いますが、カッパでしたね。

 

人間が尻子玉を取られるとカッパになる、ということだったので、カッパ≒人間ですけれど。元々は人間で、昔の人の魂で、あの世とこの世の間に留まり続けているような存在なのかもしれません。

 

ツイッタでの「ア」のマークからの呼び出しはカッパ王国からの呼び出しだったということで良いのでしょうかね。 

 

結局時系列など謎が残るままですが、もはや時系列を観念しようとすること自体あまり意味がないのかも(思考停止)。

 

 

 

カワウソとは概念(人間の欲望の総体の概念みたいなもの)であり、各人の心の中の欲望を具現化したものとして現れたりする。自分の欲望を具現化したものということで各人に都合の良い世界、閉じられた各人の妄想の世界みたいなものかもしれません。

 

すると、カッパとカワウソの戦いというのは、結局欲望を生きる糧としながら時には(自分の)欲望に呑まれてしまう人間の人生・精神そのものなのかもしれないですね。

 

人と繋がりたい(これも欲望)と思いながらも、自分の中の欲望(自分の望む世界)に捉われて、現実のつながりを失ってしまう。

 

 

 

マブとエロメンテをしていたカワウソはレオの欲望でもあった。

 

カワウソレオもレオ自身であり、レオの欲望=マブを支配したい(性的行為をしたい?あるいは性的行為によって支配したい?)という欲望。

 

これはマブの欲望でもあったのかもしれないですね。

 

実際にマブは「今の私にはあなたが必要だ」と言っています。

 

支配されたいというよりも、愛情を確認したい、みたいなニュアンスかと思いますが。マブがレオのことをちゃんと好き(愛してる)のは明らかにされているので、好きな人の愛情を確認したいというのはごく自然なことですね。

 

定期的にメンテナンスに行く(=定期的にカワウソレオと性行為?する)ことについて、それがないとマブは生きられない、生命線との発言がありましたが、自分から愛情を表現できない状態で、カワウソレオから求められるという行為がないと生きていけないということなのかもしれない。

 

 

 

マブは、(死んだけどそれでも、)レオのそばにいたいという自分の欲望のために

つながり(相手の期待する言葉をあげること、愛を示すこと)を手放した、あきらめた。

 

でもレオに拒絶され続けて、最後には、愛を示したい、つながりが欲しいという欲望が上回ってしまった。

 

欲望と判定されたマブですが、春河との違いは何でしょうかね?

 

春河も一稀にそばにして欲しいという思いはあったんですよね。

 

でも、春河は一稀からの気持ち(の表現)はそんなに強く求めていなかったのかもしれないですね。冷たくされても、愛情を示してくれなくても、ただ側にいたいという純粋な気持ち。

 

そもそもこの辺りになると愛と欲望というのは頑然と区別できるものではない表裏一体のようなものになってくるのでしょうが。

 

ここは、家族における兄弟のつながりと恋愛感情の絡んだ恋人?2人のつながりとはどうしても違いますね。

 

一稀が「つながりを諦めない!」と言うシーンが何度か(2回くらい?)出てきますが、こうやって障害がありながらも、現実的には難しそうでも、「諦めない」と強く言えるのは子供の持つ強さだなって思います。

 

 

 

レオの、相手を支配したい欲望は恋愛において多くの人が抱く欲望でしょうね。特に男性が抱きやすい欲望なのかもしれません。

 

レオについては、確か、イクニ監督が自分が示した分と同じだけの愛情が返ってくるべきだと思っているとか、相手の変化を認められない、というような言及をインタビューでしていました。

 

自分の欲しい反応を返して欲しい、自分の示す愛と同じものを示して欲しい、自分の望む相手でいて欲しい、こういった欲望は恋愛すれば誰もが多少なりとも抱く欲望ではないでしょうか。

 

ただ、相手は人間であって他人であるので必ずしも自分の思い通りにならないし、変化していくものです。だから、そこですれ違いが起こる。

 

恋愛が破綻するときは大抵レオのような欲望に支配されたことが原因と言っても過言ではないでしょう・・・。

 

これは、前述した自分の欲望、自分の中の都合の良い欲望世界で完結していて、「つながれない者」ですよね。

 

これまでカパゾンビにされてきた男たちは皆自分の欲望の世界の中に生きていたと言っていいでしょうね。それは現実とは違うから、欲望の世界に生きるあまり、現実のつながりを諦めて、失ってしまっている。皮肉なことにレオも同じだったわけですね。

 

レオマブは完全に悲劇ですから。最後は救済されたように見えますが、自分の中の相手しか見ていなかったために、その大切な相手を失う物語

 

 

 

燕太がカワウソに取り込まれそうになるとき、燕太が期待する一稀が現れて、「友達以上の関係になりたくないか」と誘惑しましたが、燕太はそれを拒絶しました。

 

友達以上の関係を望んでいないわけではないのでしょうが、それは「自分の望む」一稀であって、「本当の」一稀ではないと分かっているからでしょうね。

 

この、自分の期待する相手ではなくてありのままの相手を好きでいたいという燕太は見事なまでにレオとは対照的に描かれます

 

燕太は自分の欲望世界(欲望フィールド)の中で完結せずに、現実の世界でちゃんと「繋がろうとした」んです。

 

 

 

マブの欲望は「繋がれなくてもいいから(愛情を確認できなくてもいいから)ただ側にいたい」、

レオの欲望は「マブと繋がりたい(マブの愛情を確認したい)」「自分の望むマブでいて欲しい=支配欲」、

だったわけで、お互いのことを強く思っていながらすれ違っていたわけですね。

 

これは、主にレオがありのままのマブを受け入れられなかったからなんですが・・・。

 

やはり、主に描きたかったのは、トリオたち(子供)と対照的な存在としてのレオマブ、というかレオ(大人)。

 

 

 

辛くても思い通りにいかなくても、自分の欲望世界の中で完結せずに、ちゃんと人と繋がるという欲望(元々の原始的な欲望)を手放すな、それを諦めるな!!というメッセージ。

 

それができなかった大人たちから、これからを生きる子供たちへの希望。

 

 

 

単なるエンタメとしても秀逸ですし、今の日本という時代における力強いメッセージ性を感じる特別なアニメで、観たり考えたりするのがすんごい楽しかったです。

 

音楽とか、台詞とか、出てくるポーズや記号も含めての映像も、全部すごい好きでした。変な中毒性、再現したくなる感じを出すのが上手!!

 

そしてそして、自分が自分の欲望フィールドにこもって現実の大切なつながりを疎かにしていないか、自分の見たいようにしか世界を見ていないんじゃないかとHageしく自省させられるアニメでもありました。

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「さらざんまい」8話感想〜人は、「繋がりたいけどもう会えない」時に初めて繋がりに気付く〜

さらざんまい第8話!!

 

 

 

「つながりたいけど、もう会えない」・・・・・・・・・

ウッウッ・・・(泣)この涙はウッソー・・・ではない・・・。

 

これは誰しもいつかどこかで経験することなのです(涙)。

 

 

 

もう、6話で3人協力してのアツい救出劇を見せて、7話で「俺たちは無敵だ」ときてからの、7話の漏洩、からの8話ってもう、長〜いダンジョンに何故か一つもセーブポイントがないくらい、酷すぎるでしょ。

こちらのHPがもちません。

 

 

 

まさかの、悠と一稀に運命フラグがあったとは。

トオカズ強すぎて燕太が・・・(涙)。

 

2人は血の繋がった親を失っているところ、自分のために兄弟が犠牲になったことから自分も大切なもの(サッカー)を手放していること、兄弟とのつながりのために何でもすること、

という点でお互い過去の喪失を共有しているんですよね。

 

正にイクニ監督がananで語っていた、「喪失によって共感性を得ている」2人ですよね。

 

悠が一稀にミサンガを託す時に、「切れるから叶う願いもあるんだ」と言いますが、喪失によって得るものもあるということですね。

 

 

 

悠は、兄とのつながりのために、一稀たちとのつながりを諦めようとしている。

一稀は、悠とのつながりを諦められていない。

そして燕太もまた、一稀とのつながりを諦められない。

 

 

 

悠が「つながりは、失ってから初めて気付く」と言います。

 

これは、8話において非常に大切な台詞だと思っていて、

ミサンガのことを思い出さないまま悠を失った、そして、自分への想いに気付けないまま(何となく気付いてはいるのだろうが)喧嘩した燕太を失いそうになっている、一稀に対しての台詞でありますが、

同時に自ら選んで一稀と燕太と離れようとしている悠自身に対しての台詞でもあるのでしょうか。

そして、現在のマブに対して冷たく当たってしまうレオに対する台詞でもあるのかもしれません

 

(今後レオマブについては関係が決裂しそうになるような一山があるんだろうなと予測されますね)。

 

 

 

しかし、燕太は本当に一稀のために何でもするというのは口だけではなく本心だったんですね。

命を賭して庇うなんて中々できないことです・・・。

 

しかも、燕太はその前にレオが人を躊躇いなく撃ち殺すのを見ているわけですよ。だからこそ、庇ったとも言えますし、だからこそ庇う=自分の命を差し出す位の覚悟だったとも言えます。

 

ストーカー的ではありますが、自分の気持ちだけが大切なわけではなくて、一稀に本当に幸せになって欲しいと、大切に思っているのでしょう。

 

完全に利他だけで、自分の欲望が全くないというのは少ないと思うのです。

親子とかであればそういう感情もあり得るだろうけれど。

 

相手を大切に思っていて、相手に迷惑をかけたくない、相手に幸せになって欲しいと思っていても、何かしら相手からも愛情を期待するのが人間というもの

相手に迷惑をかけてはいけないのは大原則なわけですが。

だから、燕太の行動は決して褒められないところも多々あるわけですが、一稀を大切に思う気持ちは本物で決して嘘ではないんだなと。

 

本当は自分だけが大切で、相手のことを大切に思っているわけではない、相手のことを自分の思い通りにしたい(相手のことは自分のための道具みたいに思っていて、相手に幸せになって欲しいわけではない)だけのストーカーやDV人間は現実に沢山いますが、こういうストーカーは身を呈して相手を守るどころか、加害しますからね・・・。

 

 

 

レオマブについては、7話でNTRからの嫉妬DV彼氏、から〜の8話のレオは何だかんだ人形焼食べるんかい(「ふたさら」でやってたやつ! というかそれマブがウッソーにセクハラされながら作ったやつやで・・・)仲良さげじゃん、から〜の見事な悪役ぶり(反社会的警官・・・)、とこちらももう飽きさせない。

 

レオは自分にとって唯一の人を生き返らせるためとはいえ結構なサイコ凶悪人物になってますですね・・・。

レオの他人に対する凶悪ぶりを見ていると、今のマブに対してはあれこれ言いながらもかなり甘い、特別扱いっぽい・・・。

 

繋がりを求める程に危険な行動をするのは中3トリオもそうですが、レオはもう極の端ですよね。

 

カワウソマークで人を操るという技まで見せて「強い敵」感を結構出してきたわけですが、

カワウソマークで操られたモブ警官の見た感じが本当にリアルな警官で、レオマブが明らかに非現実的な美形警官だったのが良きですね〜。

 

 

 

9話が怖いです。

 

9話予告のレオマブの「関係を決定づける出来事」ってワード何ですよ!こわいですね・・・。

 

今までの傾向からすると、落としてから上げるか、上げてから落とすかどちらかあるかと思っていて、

どちらかというとレオマブいい感じになってからのNTR目撃で大喧嘩みたいに上げられて落とされる悪寒がしています。

 

しかし、「気持ちいいことが好きなんじゃねえの」という台詞とメンテに機嫌を悪くするレオの言動からすると、レオはメンテがどんな感じなのか何となく分かっていそうだけれど。

そして、7話のメンテナンスは、メンテ中のカワウソとマブの台詞、「気持ちいいこと」と表現されていること、夜に行われていること、などから結構明確に性行為的なもののメタファーとも思えますね・・・。

 

 

 

というか、さらざんまい、レオマブが「行くところまで行く」と明言されているので、明確には描かないとしても暗示的にでも普通に性行為しそうで嬉し怖いですね・・・!!

 

 

 

「ふたりはさらざんまい」やTwitterの様子からしても、この2人が公式で恋愛に近い感情をお互いに持っているのは割と明らかかなと。

これは普通のアニメ?では結構珍しいかもしれないですね。

燕太の一稀に対する感情も恋愛のような感情ですし。

 

 

 

日本でも、近頃はドラマとかだと普通に同性愛が描かれたりしてますが、アニメは意外と、明確なBLアニメとか以外は真剣に同性愛について描いたものはあまりなかったような。

 

女性向けとされるアニメでも、男性たちがキャッキャワイワイしているものは結構ありますが、恋愛感情を明確に描くものは少ないような。

 

男女の恋愛を描いて同性のそれを描いてはダメということはないと思うのですが。

 

 

 

ケッピとレオマブが知り合いということも明らかになりましたね。

やはりレオマブは元々カッパ王国の人間だった可能性大。

 

でもウソングにはキュウリじゃなくてブロッコリーなのね。

 

「まさか生きていたのか」みたいな台詞は、カッパ王国滅亡時にレオマブがそれに巻き込まれたことをケッピは知っていて(まあ、その場にいたし・・・)それ故の台詞でしょうね。

 

レオマブを生け捕りにするためにサラが準備した秘密兵器、謎のフリーズマシンが今後どこかで重要な役割を担いそうです。

 

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はらだ先生「やたもも」感想〜愛を必死に求める人たち〜(再録)

*「コンテンツの海を漂うのブログ」に掲載していた記事の再録になります。

 

はらだ大先生大好きです。

 

「やじるし」、「にいちゃん」等を読んで、満を辞して(というほどでもない)の「やたもも」です。

 

 

やたもも (バンブーコミックス Qpaコレクション)

やたもも (バンブーコミックス Qpaコレクション)

 

 

 

やたもも 2 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

やたもも 2 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

 

 

 

やたもも 3 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

やたもも 3 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

 

 

 

結論から言うと、・・・最高でした!!

 

とにかくエロくて・・・、でも話がしっかりしているのと、キャラに魅力があるから、ストーリー自体にグイグイ引き込まれて、悲しくなったり、幸せな気持ちになったりできて、これぞBL・・・もとい漫画として完成されていて稀有な魅力を誇る作品です。

 

 

この作品の大きな魅力の2つと思う、キャラクターとエロについて語りたいと思います。

 

1 キャラクターについて

まずは主役の2人、攻めの八田ちゃんと受けのもも(百田)。

この2人の名前が、そのまま漫画のタイトルになってますよね。

 

八田ちゃんは長身でガッチリ体型、短髪・茶髪の20代前半?の男性。一見イカつくて怖そうだけど、人が良くて世話焼きで情に厚い。体力も性欲も人並み外れており、セックスの時に手加減できないのが難点。

 

ももは小柄で細身、黒髪の24歳。美人の母親にそっくりで猫っぽい顔、小悪魔(むしろ悪魔か?)のような魅力があります。

 

母親との軋轢等家庭環境から、小さい頃から身体を売って暮らしてきて、生活能力はゼロ。お金とお酒に滅法弱くパチスロ大好きな「ダメな大人」(byくりちゃん)。

 

 

このキャラ設定だけ見ても、「あっ、この2人は相性いいな」とわかっちゃうのがすごい。実際お互いが、お互いでないとダメなんだというのがとても説得力あるように描かれています(テンカウント感想でも似たようなこと言ってましたね)。

 

 

主役はこの2人なのですが、やはりメインはももなんだと思っています。

誰かからの愛情に飢えていたももが愛情を知り少しずつ変わっていく物語。これはももという1人の男性が愛を手に入れる物語なのです。

 

 

その出自や、彼女の周りの男がももに手を出したこと等でももをなかなか愛せなくなってしまった母親でしたが、ももは母親の愛情が欲しくて母親の彼氏を取ったり指輪をあげてみたり、幼いながらに母親の愛情を得ようとしますが、結局うまくいきません。

 

ももは、側から見れば好きで、楽だから、身体を売って暮らしているダメな大人かと思われそうですが、その生い立ちを考えると、彼にはそれ以外に生きる手段がなかったんですね。

 

その機会も与えられなかったし、方法も誰も教えてくれなかった。

 

なんでも「自己責任」で片付ける恵まれた環境で育った人なんかには中々この辺りは理解できないことが多いわけですが。

 

男好きする顔・身体で魅力がある故の悲劇とも言えるかもしれません。

 

3巻で、彼自身おじさんを相手とする性行為は嫌だったし、身体を売って暮らす自分自身も嫌だったことを告白しています。

(ほんと、性別問わず好きで身体を売っている人なんていないよなあ・・・)

 

自分自身が惨めにならないように、何より惨めだと思われないようにいつも笑っているももに、八田ちゃんは「我慢して笑うのやめろよ」と言います。そして、辛いことがあったら1人で抱えて処理するのではなくて、もっと自分を頼ってくれとも。

 

 

ももは自分が好きになれていないんですね、だから自分を雑に扱うし、周りから雑に扱われていいんだと思っている。そう思っているのはその人の雰囲気として出てくるから、周りも雑に扱っていいんだと思うという悪循環。

 

しかし、過酷な境遇で生きていた故なのか、辛い目に合いつつも誰かを責めたりせずに明るく振る舞うももは、確かにだらしがなくて生活能力・社会適合能力は低いけれど、とても強い人間ですね(八田ちゃんはそんなところを「優しい」と評していましたが)。

 

そんなももの明るさのせいか、ももとその母親を取り巻くストーリーはかなり悲惨なことも多いのですが、話全体としてはあっけらかんとした明るい雰囲気です。

 

 

八田ちゃんはそんなももを認めて、愛情を持って大切に扱うから、ももは自分のことを大切にできるようになり、そんな自分を好きでいてくれる八田ちゃんにも愛情を与えることができるようになる。

 

自分で自分を好きなるのが一番だと思うのですが、なかなかそれって難しい・・・。そんな時自分を愛してくれる人によって自分に自信を持って相手も愛せるようになるって、そんな相手と巡り会うのってなかなかないけど、そんな相手と出会えることもある。人生ってそんな捨てたもんじゃないよね。

 

 

ももの強がっているけど、とても愛情に飢えていて、お気楽に見えるけれどとても傷付いていて、そんなキャラクター描写がとても上手です。

 

ももが普段おちゃらけて強がるほど、八田ちゃんの前で本音を吐いて泣くシーンが胸に響きます。

 

八田ちゃんも、「いい人」キャラですが、独占欲が強くて、ちょっと強引なところがあって、性欲は中々抑えきれない、若く勢いがある感じが人間くさいですよね。

 

 

後、かませ犬としての須田もとても良い味出してます。お金持ちで冷たい感じの男ですが、欲張りすぎて自滅する男。彼もももと同じで、自分の気持ちを素直に出すことを恐れていて、ももはおちゃらけることで自分の本心を隠そうとしますが、彼はあえて相手に冷たくすることで本心を隠そうとします。あんな風で愛を求めていることも、ももと同じ。

 

 

自分は、人間臭くない欠点の見当たらないようなキャラクターにイマイチ惹かれないので、はらだ先生の描くような清濁併せ持つようなキャラクターはとても魅力的に感じます。

 

典型的な少年漫画に出てくるヒロインとか、少女漫画に出てくる男の子にあまり魅力を感じられないのです。それは、理想像でありすぎて「人間らしい」嫌な部分が全く排除されてしまっている事が多いから。

 

フィクションでくらい理想像を追いたいと感じるのか、リアリティーを求めたいのかその感覚の違いなんでしょうか。

 

 

でも、人間って、フィクションと現実をそんなはっきりと、完全に区分けできるとは思えないんですよね。

相手の嫌な部分も認められないと、恋愛も結婚も上手くいくはずがないと思っているので、人間らしさの欠如した理想像に恋するのは危険だなと(理想像と違う部分を見たら相手を一気に嫌いになったり、相手を憎んだりする人も多いわけで)個人的には思っているのです。

 

2 エロについて

作者のサービス精神全開、持てる画力を全てつぎ込んでセックスシーンを描いてくれたのでしょうか。凄いです。

 

 

セックスシーンがとにかく沢山出てくるのですが(2分の1くらいはセックスしているような・・・)、あらゆるシチュエーション、アングル、ズームで飽きさせません。

 

性欲先行でやっている時と、お互いに愛情を確かめ合うように優しくやっている時とを描写でちゃんと描きわけているのがすごい。ただ行為だけではなくて、その行為時の当事者の気持ちが描写で伝わってくるから、意味のないサービスとしてのシーンだけではなくて、ストーリー上必要性のあるシーンもあって、しらけないんですね。

 

やたちゃんはとにかく絶倫で立派なモノを持っていて、ももは身体が柔らかくて、まあここはエロ書く気マンマンの設定ですね。

 

 

もうこれに関しては実際に読んでくれとしか言えない感じです。

こんな絶倫で立派なモノを持っているやたちゃんなので、相手が男であるももであることで何とか耐えられている(??)というのもこう、妙な説得力があります。

 

 

 

そんなわけで、「はらだ先生が尖りすぎていない比較的幅広く受けるエンタメ作品を作ったらこうなった」という感じで、こんなのも上手く描いちゃうなんてすごいなと。ただ感服です。純粋にエンターテイメントとして素晴らしい出来なので未読の方には是非読んで欲しい一冊でした。

 

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BL界のマスターピース「テンカウント」感想(再録)

*以前に自分が「コンテンツの海を漂うのブログ」に掲載していたものの再録になります。

 

*祝アニメ化!!! 最近BL漫画のアニメ化多いですね。令和の到来と共にBLのビッグウェーブが来ていますねこれは。

1 はじめに

 

はい、BL漫画「テンカウント」です。

もう、これはそんなに商業BLに興味を持てずにいた自分を変えた作品でございます。

 

 

 

 

 

まず、テンカウントを簡単に説明すると、潔癖症不潔恐怖症)の社長秘書城谷さん(歳上の美人系ですね)と、心療内科で働くカウンセラーの黒瀬くん(歳下の男前系ですね)のラブストーリー・・・ってことになりますかね。

皆様、これでいいでしょうか? 大丈夫ですか?

 

ちょっとgoogってみます。

 

以下、wikipedia「テンカウント」より引用。

 

「全国書店員が選んだおすすめBLコミック2015」第1位、「全国書店員が選んだおすすめBLコミック2016」第1位、「BLアワード2015」コミック部門ランキング第1位、『このBLがやばい!』2016年度ランキング第1位、「SUGOI JAPAN Award 2017」漫画部門にて第3位を獲得。シリーズ単行本発行部数累計150万部突破。 

 

・・・ウンウン。まあ、そうですよね。

自分が「何これスゴイ!!」って思うものは、大抵皆もそう思っているという法則。

 

2 テンカウントの魅力を語りたいと思います。

 

自分がハマっている理由を、以下大きく3つに分けてつらつらと述べたいと思います。

 

盛大にネタバレを含むのでまだ未読だという方(コノヤロー羨ましいな!)はご注意ください!!

 

⑴ 服装がツボ!!

まず服装ですね。

城谷さんは社長秘書で、仕事でもプライベートでもスリーピースのスーツを着て白い手袋を着けています・・・。

いや〜〜〜・・・グッジョブ!! これだけで白米3杯食べられるやん。

スリーピースも手袋もめっちゃエロいじゃないですか?? 皆さん好きですよね??私は大好きです!!。

潔癖症ゆえにほとんどいつも手袋を着けており、プライベートでも手袋が浮かないスーツを来てるという設定・・・うまい!!  実に自然にいつでもスーツ姿が堪能できるってわけですね。

座布団を2枚一気に進呈したいです。

トレンチコートを着ていることも多いですね。靴は革靴。

城谷さんは全体的に綺麗目でコンサバティブな服装です。

こう、ちょっと澄ました感じで、歳上の綺麗なお兄さんは好きですか? って感じです。

少し若い可愛さも残しつつ大人の色気を漂わせる、31歳(32歳)。絶妙な年齢設定ですよ。

シワやヨレ等が絶対許されない系の格好で、女子で言えば正に王道コンサバ女子アナ系って感じなのでしょうか。男子の王道モテ爽やか系とも少し違うかな。

ちな、シャツ一枚の格好のサービスシーン(?)も結構多く、あ・・・ありがとうございます(土下座)!!

 

城谷さんとは対称的に黒瀬くんは完全カジュアルで、全体的に黒め。

黒のVネックカットソーにブルゾン等を羽織って、カジュアル系パンツに足元は大抵スニーカー。

黒瀬くん自身もスーツは「リクルートか冠婚葬祭の時くらいしか着ない」旨の発言をしております。

 

で、この対称的な感じが・・・いいんですよ!!

お互い似合っているし、キャラにも合っていて、職業的にも説得力があって。

 

で、お高そうな雰囲気の城谷さんが、体育会系大学生感のある道端に咲く野草的魅力の(??)黒瀬くんにめちゃめちゃにされる(!!)っていうのが、たまらないわけですよ!!

 

⑵ お互いを好きになるのに説得力がある

① 城谷さんのトラウマ

城谷さんは父子家庭育ちで完全にファザコンです。

素直で純粋な可愛い城谷少年です。

で、この父親が結構色男なのかな。知り合いの女子高生が城谷父を気に入っており(できていたような描写もあり)、城谷少年がどうも気にくわない。

まあ子供じみたライバル心ですね。

この女子高生かなりの曲者で、策略を巡らしてロッカーに隠れた城谷少年に父親と自身のラブシーンを見せつける。

それを見て(聞いて)、城谷少年はロッカーの中で自慰してしまう。

 

おそらくなんですが、城谷さんは父親へ性愛も含んだような愛情を持っていた。

・・・と言うかファザコンと同性愛がごっちゃになったような感じなのかな? ノンケっぽい発言(黒瀬くんに好きだと言われて「自分男なんだけど・・・」みたいに考えている)もしてますし、城谷さんの性的指向は未熟なワタクシにはイマイチ読み取れない部分もあります。

 

自慰したことを女子高生に「気持ち悪い」と言われたこともあり、父親へ性欲を感じる自分を「気持ち悪い」「汚い」と感じるようになり、その反動で周りのあらゆるものが「汚い」(汚い自分に触れて汚くなるから)と感じるようになってしまう。

しかし、彼が自分を汚いと思った根源は「父親へ性欲を感じること」なので、本音では、本能的には、誰か父親的な人に自分を汚してほしい(自分と性的なことをして欲しい)と思っている。

黒瀬くんはそれを見事見抜いていたわけです(城谷さんは割と自分のことでいっぱいっぱいですが、黒瀬くんは非常に他人のことをよく見ていますね)。

 

黒瀬くんに「偉かったですね」と言われる度に、城谷さんは(性的に)興奮してましたが、黒瀬くんに父親的なものを感じていたわけですね。

黒瀬くんはまだ若いですが、カウンセラーという職業柄もあるのか、父親的なところがあるんですよね。

 

② 黒瀬くんのトラウマ

他方、黒瀬くんは自分に無関心な両親の元で育って、幼い頃慕っていたのは近所の潔癖症持ちの、西垣という男性。

黒瀬少年は、両親からあまり様々な感情を向けられてこなかったせいか子供の割に無表情で、しかし聡明な少年です。

西垣が自分には気を許していて、自分は彼の特別だということに満足を覚えていました。

両親の愛情を満足にもらえず、おそらく誰かに求められること、誰かの特別になることを渇望していた黒瀬少年。

西垣を慕い、同時に西垣に性欲を覚えていたような描写があります。黒瀬くんも同性愛志向は結構明確にあったわけですね。

 

西垣を押し倒して西垣に拒否されて以来、黒瀬少年は西垣と会う機会がなく、そんな中、西垣が失踪しただか自殺しただか、という噂を聞く

(押し倒して身体を舐める・・・黒瀬少年はかなり早熟ですよね。ちょっと子供っぽい雰囲気の城谷少年と対照的です)。

その後、西垣の読んでいた「とらわれる生き方」という本を読んで、その本で描かれている、「世間から切り離される恐怖」「誰からも愛されていないと感じる寂しさ」が心に刺さり泣いてしまう。

それで西垣を救えなかったことを強く後悔し、潔癖症の人を救うために勉強するようになる。

 

本を読んで泣いてしまったのは、やはり、西垣も感じていたであろう、「誰からも愛されていないと感じる寂しさ」に共感したからなんでしょう。当たり前ですが、黒瀬少年は両親の関心を得られなくて寂しかった(母親の関心を引こうとする行為をさりげにしていて、でも毎回相手にされず。もう健気で泣けます・・・)。

ここまで子供に無関心な親が実際にいるのか、というのは個人的には疑問なのですが・・・、まあ、世間には確かにいるのかもしれない。

 

黒瀬少年は、恋愛感情ゆえの独占欲で、社会へ出て行こうかと考える西垣の背中を押すことができなかったんですね。

そんな中、出会った城谷さんは、潔癖症で、他人に対し壁を作る性格。でも、自分には少し心を許してくれて、さらに黒瀬くんの前で「自分を汚して欲しい」という性的な願望を隠せていない。

黒瀬くんは、城谷さんに恋愛感情や性欲を強く覚えるけれど、自分のその感情ゆえに城谷さんを傷付けたり(主に城谷さんの潔癖症を悪化させるといったことかな)、城谷さんに逃げられることも恐れている。つまり、西垣の時の失敗を繰り返したくないわけですね。

 

黒瀬くんは余裕があるようでいて、西垣のように城谷さんを失ってしまうのを非常に恐れていて臆病にもなっているんですよね。

黒瀬くんの妙な焦らしプレイは、本人の性癖で楽しくてやっているのか、城谷さんを逃さないために戦略的にやっているのか、城谷さんに無理をさせないように気を遣っているのか、一体なんなんだ黒瀬!! と思っていたのですが・・・もう、「全部」かもしれないという結論に至っています。

 

でも、黒瀬くんの焦らしプレイがあったからこそ、城谷さんは黒瀬くんに導かれた結果ではありますが、自分のトラウマを自分の意思で少し克服できたわけですね。

黒瀬くんの焦らしプレイは、凄いですよ。

彼は多分、嘘は全く言っていないんです嘘八百で相手をだまくらかす様なその辺のヤリチン男みたいなことはしない。

ただ、相手が自分に期待しているだろう言動を「あえて」しないことによって、また時にはすることによって、その選択でうまく城谷さんを導いているわけですよ。

末恐ろしい26歳(27歳)ですわ

 

③ 城谷さんと黒瀬くんのケミストリー

城谷さんも黒瀬くんも、ずっと頭の中で心(理性=相手を汚したくないとか傷つけたくないという気持ち)と身体(本能=性欲)が戦っていて、そのせめぎ合いが1巻から4巻辺りまでずーっと続きます。

その葛藤の中、段々と、お互い性欲を我慢できなくなっていくんです。

それで、5巻でひとまずのゴールを迎えるわけですよね。

特に城谷さんにつき、完全に性欲が勝ってしまうわけですね、ハイ。

皆さん、5巻、最高でしたよね??

チクショー黒瀬てめえ!! 良かったなコノヤロー!!

 

性欲が勝るとか書くと、何だかダメな人間みたいなんですが、つまり性欲に繋がる恋愛感情が勝ったんだと思ってます。

拒絶されるのが怖いとか、本当の自分を知られるのが怖いとか、過去のトラウマに基づいて自分で自分を抑え込んでいたものから解放されるんですよね。

皆、色々な過去の経験が原因で自分を抑え込んでいて、それは時に理性とかいう言葉で正当化されるんですが、自分自身を縛り付ける枷でもあったりするわけです。

 

城谷さんと黒瀬くんは、まさに出会いの化学反応(ケミストリー)で、お互い相手の存在によって、自分を縛っていたトラウマから少しずつ解放されていくんです。

過去を完全に忘れることは難しいし過去は変えられないけど、過去を認めた上で現在の自分を変えることはできるわけですよ。

それは結局、自分自身で行動して変えなきゃいけないんですが・・・他人が大きな影響を与えてくれて自分の行動のきっかけとなったりすることがあって、城谷さんと黒瀬くんは正にそんな関係で素敵だなあと思うわけです。

 

・・・と、こんな風に、城谷さんと黒瀬くんがお互いに強く惹かれ合うのに、十分説得力があるんですよね。

2人はやや重めの共依存関係なのですが、恋愛(性愛)にはどうしても依存は付き物だと思うんですよ。だからこそ苦しいし、悩むし、ドラマチックなんじゃないですか!!

おしどり夫婦的な愛着になるとまた違うステージに上がるのかなと思いますが。

 

うざい長文になってしまいました。

 

⑶ エロい!!

はい、もう、この一言です。

すいません、盛りのついた中学生男子みたいですいません。

2で色々とグダグダグダグダ・・・書きましたが、ここですよ、つまり言いたいのは

 

城谷さんは心では他人を汚いから触りたくない(汚い自分に触って汚したくない)と強く思っているのに、本当は、本能では自分に触って欲しい、汚して欲しいと思っている。

その葛藤で苦しんでいて、嫌だけど嫌じゃない・・・みたいなメンドくさい感じなのですが、その葛藤で揺れる城谷さんがなんか・・・凄く・・・エロいです。

色気とは葛藤の中で育まれるのでしょうか。

で、潔癖症ゆえに他人に触れられることに人一倍敏感なので、一々反応がエロティックになるという。潔癖症という設定を生かしてここまで官能的にするなんて作者は天才か!!

 

5巻を見た今分かることは、1〜4巻は全て、城谷さんと黒瀬くんの5巻の行為に至るまでの壮大かつ長〜い前戯なんですよね。

んで、前戯が長いほど本番が燃えるというのは、言わずもがな。

1巻であんなにツンと澄まして小綺麗にしていて、本屋の本も触れなかった城谷さんが、5巻であんなことになってしまうという、その幾重にもハードルを飛び越えて最後にそのまま棒高跳びをしてしまったかの様な振り幅の大きさもあって、見てるこっちは死ぬほど興奮するんです。

 

3、4巻辺りから、なんか急激にエロくなってきて、城谷さん10の項目すっ飛ばしていきなりそんなことも? えっ? いいんすか? って感じは多少はしましたけど。

しかし、恋愛感情とか性欲ってかなり強烈な吸引力がありますし、人をおかしな行動に駆り立てますから、そこまでファンタジーでもないんじゃないかと思いましたね。

エレベーターで乗り合わせてそのエレベーターが停まるのは、もうベタの中のベタとしか言いようがありませんでしたが、いいんです。

ベタだなんて皆分かってるんです。分かっていても、読んでて面白くドキドキすれば、いいんですよ。

 

あとはもう、画力が素晴らしい。

絵柄がとても好きです。非現実的すぎず、現実的すぎない感じ

裸とか、身体の描き方も上手ですよね。

目が大きすぎるとかキラキラしすぎているとか、睫毛がもう顔から飛び出そうにバッサバサだとか、顔が小さすぎるとか、某ボールが友達漫画のように足が長すぎるとか、そういうのダメなんですわ・・・。

話が面白くても、そういうのが気になって気になって萎え萎えになってしまい、萌えられないのです。

かといって、井上雄彦先生や倉科遼先生のようなリアルな感じがいいかっていうと、ちょっとリアル過ぎてそこまで萌えられない、

・・・お前、わがまま言うなよっていうツッコミはごもっともです。

 

3 終わりに

テンカウント、今後はどこへ向かうんでしょうか。

自分の中では5巻でカウントダウン終了してロケットはドカンと宇宙へ打ち上げられた感はあるのですが、2人の関係はまだまだこれからでしょうね。

 

次のゴールとしては、2人がちゃんと付き合うとか、城谷さんが10項目をクリアする、辺りになりますか。

いや、まだ付き合ってないんかい!!

 

あ、あと、10項目が何だろうということですが。

始めはベタに性行為かなと思ってましたが、それは明確に否定されましたし、キスかな? と思ったけど、ちょっとそれもベタだし、性行為と類似行為だし・・・どうだろう。

 

 

と言うわけで、6巻を全裸待機している間に、1巻〜5巻までの詳細な感想をまた書いていけたらと思います。

 

 

 

*こちらの感想はブログ主の個人的感想であり、なるほどこんなことを考えている奴もいるんだな程度に受け止めていただければ幸甚でございます。

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「さらざんまい」第7話までの感想と考察〜愛と欲望で繋がる男たちの物語〜

*考察が、考え直したり新たに調べたりすることによって、随時変更&加筆されます。

備忘録的に書いてまして・・・すいません・・・。

 

すしざんまいも銀のさらもさらざんまいも大好きな寿司好きのワタクシ、

すっかりアニメ「さらざんまい」ざんまいです。

めっちゃ面白くないですか??

中毒性がすごいです。

カワウソイヤァが頭の中でソイヤァソイヤァ無限ループしてます。

 

 プライムビデオで観れるよ!!

 

 

 ブルレイ欲しいな。

 

 

「さらざんまい」とは??

 

少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』『ユリ熊嵐』を手掛けた幾原邦彦によるオリジナルアニメ作品。

…作品のテーマは『つながり』、キャッチコピーは「つながっても、見失っても。手放すな、欲望は君の命だ。」で、PV中でも度々使われている。

 

wikipedia「さらざんまい」より引用。

 

舞台は浅草。それぞれに問題を抱えた中学3年生ボーイズ、一稀(かずき)、悠(とおい)、燕太(えんた)はふとしたことからカッパ国の王子ケッピによって尻子玉を抜かれてカッパに変えられてしまい、なぜか「カパゾンビ」の尻子玉を奪うという任務を任される・・・

と文章で説明してもWhat is this?で、1話を見てもWhat is this?なのですが、2話、3話と話が進むにつれて段々と世界観やキャラクターが分かり始めじわじわと面白さが増してきます!

 

 

ということで、サラッと「さらざんまい」感想です。

ネタバレ含む!! なお、アニメ7話まで(先行は観ていない)&小説「さらざんまい」(上)&「レオとマブ ふたりはさらざんまい」につき漏洩済dish。

 

 

 

さらざんまい (上)

さらざんまい (上)

 

 

こちら漏洩してます。

スターティングガイドも欲しいな。

 

以下、1さらざんまいの世界について、2主人公一稀のつながり、3つながりと欲望について、4レオマブのつながり、についてサラッと個人的感想になります。

 

1 さらざんまいの世界

さらざんまいの世界について、現時点で分かっていることはこんな感じ。

 

 

・尻の穴の奥の方にある(・・・)尻子玉というのは、欲望エネルギーを溜め込んでいる臓器。人間が尻子玉を抜かれるとカッパになってしまう(生きていて、死んでいる状態)。

 

・「さらざんまい」とは身も心も繋がること。中3ボーイズがカパゾンビの尻子玉の欲望エネルギーをケッピに転送するときに身も心も繋がる「さらざんまい」状態になる。「さらざんまい」すると、お互いの記憶や意識を順に共有する(「漏洩します」)。

 

・昔(?最近かも)カッパ王国カワウソ帝国が争っていた。カッパ王国歴333年、カワウソ王国がカッパ王国へ侵攻し、戦争は終了。

→このカッパ王国滅亡時のイラストに、凌雲閣と思しき建物が描かれている。凌雲閣が関東大震災で崩壊したことから、カッパカワウソ戦争=関東大震災(1923年)か。

すると、カッパ王国は1950年位から始まっており、1950年は豊臣秀吉の天下統一の年。江戸時代の始まる少し前くらい。1923年は昭和時代の少し前。

 

カワウソ帝国はカッパの欲望エネルギーを奪い尽くし、ケッピはカッパ王国の生き残り。カワウソ帝国は今度は人間の欲望エネルギーに目をつけている。

 

・このカッパ王国とカワウソ帝国の最後の争いで、ケッピの欲望の暴走?「ダダダダダークネス」(What is this?)からレオをかばおうとしてマブは亡くなっている

→この時のレオマブの服装は明治時代〜の警官の制服に似ているとのこと。やはりカッパカワウソ戦争=関東大震災がモチーフで良さそう。東日本大震災など、大震災を時代の節目と捉えている様子。

 

・この後カワウソ達に拾われたレオマブ。亡くなったマブはカワウソの技術力で機械の心臓をもって再現される(元のマブの身体で心臓だけ機械になった)?

 →カワウソの技術力とは近代科学技術?(科学技術庁とか言ってるし・・・)

カワウソの人間界への侵攻とは、人間が科学技術に支配されているみたいな、マトリックス的なもののメタファー?

 

・現在カワウソ帝国の指示で人間界へ送られて、カワウソへ欲望エネルギーを転送するために動いているレオとマブ、欲望搾取で人間を箱に入れて(その後その人間は遺体で発見される)、その欲望を奪い取りカパゾンビにしてしまう。欲望搾取するとき、レオがマブの機械の心臓を取り出す。

カワウソイヤア!!!

カパゾンビは尻子玉を抜かれると昇天?成仏?して存在自体がなかったことになる。

(現世とあの世の中間であるカッパの世界から、あの世へ行くのか)

 

・浅草の街のあちこちにある「ア」のマーク。「ハートの中のカワウソ(が尻子玉を狙っている?)」マークと表裏一体にあるような表現。

→ア=愛、カワウソ=欲望、かと思っていたのですが、アをペタッと貼られた燕太が急にケッピとカッパ一稀たちの姿が見えるようになったこと、カッパになった一稀達が生きていて死んでいること、カッパになった後の世界(欲望フィールド)について人の世の裏側と説明されていること、からすると、「ア」は「あの世」か?カッパはあの世と現世の間にいる生き物。生きていて死んでいるとは、カッパ=現世に留まっている死んだ人の魂、みたいに考えると何となくしっくり来る。

カワウソマークはそれと表裏一体なので「現世」、つまり「現代社会」か。

現代社会が人間の欲望を糧として動いていることのメタファーかもしれない。

 

 

 

・浅草のご当地アイドル吾妻サラの正体もカッパ。ケッピとステディな関係?

 

・「ふたりはさらざんまい」で赤ちゃんサラを拾ったレオマブが赤ちゃんサラを育てている。

 

 

→過去のイクニ作品観ていればもっと考察しやすいのかも。&関東大震災・河童についてもっと調べてみると何かわかりそう。レオマブ関係は後でもう少し考察。

 

2 一稀のつながり

やや頑固でマイペースな主人公の一稀。

 

 

大抵の人間が一番初めに繋がる人は家族ですが、その家族との血のつながりがないことが判明してアイデンティティクライシスに陥らない人間はいないのではないでしょうか。

 

 

自分のせい(自分が本当の母親を見送ろうとしたせい)で歩けなくなった弟、

その罪悪感&自分だけ血が繋がっていないという事実から、弟と繋がることは許されないと思ってるけれど、本当は繋がりたい。

 

 

そんな葛藤の中で、一稀は、女装して女性アイドル吾妻サラに成りすまして弟とメールをするという突飛な行動に出ます。可愛いから許す。

しかしまだ中学3年生、自分の弟(家族)に対する想い、繋がりたいという欲望でいっぱいで、春河の自分への想い、育ての両親の自分への想い、燕太や悠の自分への想いには比較的鈍感です。余裕がないんですね。中学3年生に余裕を求めるのも変ですが。

 

 

けれど、6話で、皆の(特に春河の)自分への愛に気付いて自分を犠牲にして春河を救おうとするのを思いとどまる。

 

 

春河は血のつながりがないことが分かって落ち込んでいたであろう一稀に対しても、「(自分たちは)丸い円で繋がっているんだよ」と言って血のつながりがなくてもつながっていることを教えてくれた人。一稀にとってはとても大切な人ですね。

 

 

 

もう・・・自分兄弟愛に弱いんですよ・・・「NIGHT HEAD」の頃からもう弱くて(昭和)。

 

ナイト・ヘッド〈1〉 (角川文庫)

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ナイトヘッド DVD BOXセット

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*まさか武田真治氏が筋肉は裏切らないとか言い出すマッチョマンに変貌するなんて当時誰が予想しただろうか・・・。

 

 

愛は誰かに対して向けるものだけれど一方通行ではない、愛はつながっている。愛した人から愛されたり、別の誰かが自分を愛してくれたり、それは丸い円みたいにつながっている。そんな人類愛・・・?に近いような概念を感じます。

 

 

3 つながりと欲望について

尻子玉(欲望)というのは人間が人間であるために必要なもので、それがなくなると円の外に出てしまい、誰とも繋がらず始まらず終わらない。

 

それ(他人とのつながりがない=存在を忘れられること)は人間にとって死んでいる(生きていて死んでいる)と同じこと。

 

 

これは、蕎麦屋がなくなることは両親の大切にしていたものが本当に死んでしまうことだと考えていた悠の想いに繋がります。

 

 

自分も人間が最も渇望するものは「人とのつながり」だと思います。人と繋がりたいという欲望は人の生きる原動力(かつ身を滅ぼす元)なのではないでしょうか。

 

 

春河が自分で悪いことをしたと考えているように、春河が一稀の生みの親に一稀に近づかないでと言ったのは自分本位のことにも確かに思える。

 

 

だけれど春河の想いが愛だと判断されたのは、一稀にそばにいて欲しいという自分の欲望はありつつも、一稀のことを本当に大切に思う愛情が根底にあるからかな・・・。愛と欲望の違いは中々明確に区別できるものではないような気がしますが、やはりカパゾンビにされた人たちの感情と春河の感情は明確に違いますよね。

 

 

愛情はつながっているもの、欲望はつながらず自分だけで完結している。

独りよがりな欲望に溺れる者は「始まらず、終わらず、繋がれない者たち」

これは一見他人と「繋がりたい」という気持ちのようでいて、実は繋がる事よりも自分のために他人を「利用しようとしている」だけで「真に繋がる」ことを目指しているわけではないのでは。

 

 

「つながり」については、ananでマブの中の人、細谷氏が語っていた内容が面白かったです。細谷氏は「結局人と人が繋がることはできない、けれどお互いの考えや個性を尊重することはできる」と話していましたが、とても大人な意見だなと。確かに、人は結局のところ完全にわかり合うことは難しいと自分も思います。親子でも、夫婦でも、兄弟姉妹でも、完全にお互いのことを理解することは難しい。

完全に分かり合えるという考えは多分危険で、相手に期待しすぎたり、自分の欲望をぶつけたりしてしまう。正にさらざんまいの燕太くんやレオはつながりを強く求めすぎているという見方もできる。

 

 

まあ、しかし、だからこそ、本来孤独だからこそ、人はつながりを必死に求めるのだし、本来孤独だからこそ断片的にでもつながった時の輝きは尊い人間の生の輝きなのかなと思います。

 

 

人は1人で生まれて1人で死んでいくというのも事実でありますし、他方で人は1人では生きていけず必ず誰かとつながっているというのも事実なのではないでしょうか。

 

 

人とつながりたくてもがいて、でも上手くいかなかったり自分本位になってしまったり裏切られたり、無償の愛をもらったり与えたりしてつながる瞬間があったり、欲望をぶつけたりぶつけられたり、そんなことが生きるっていうことなのかもしれません。

 

 

繋がることは難しいけど、繋がりたい故に苦しく辛い思いをすることも多いけれど、

「繋がることを諦めるな、欲望を(繋がること、生きること)諦めるな」

さらざんまいからは、そんな強烈なメッセージを感じます。

繋がることの難しさを散々描きながら、それでも諦めるなと迫ってくるアニメなのかなと。

 

4 レオマブのつながり

7話まで謎の多かった玲央と真武の2人。

ふたりはさらざんまいやTwitterでゆるふわな日常を繰り広げていたのに、アニメ本編では何だか重々しい雰囲気が漂っています。

 

時間軸が謎ですが、レオマブのTwitterを見る限り、以下のことが何となく分かってます。

・浅草で警官として勤務する2人

・カワウソマークが街に現れ始める(浅草に異変が。カワウソが人間界に進出し始める?)、同時に何だか忙しくなり、異変に敏感に反応するマブ(マブ「確かに気づかないうちに増えているな」=上から何かを聞いて、それで「確かに」増えているなという発言)。

・マブだけ上から呼び出されたり。マブだけ上から何か任務を依頼されて極秘で遂行していた可能性(マブ「もうここは駄目だな」レオ「お前、俺に隠してることあるだろ」)。

・危険な任務を遂行していることが分かっているせいか、「久しぶりにお前の料理が食べたい」と言ったり唐突にラブレター?を送るマブ(涙)。マブ「お前が思っているほど危険な任務じゃない」→明らかに危険な任務

・上からの呼び出しの時に「ア」のマーク。「ア」はカッパ(あの世)のマーク?すると2人はカッパ王国の人間?

 

・危険な任務を極秘で依頼されて遂行していることがレオにバレた後に、黙って行ってしまうマブ。

・レオ「こんな腐った世界でも俺は欲望を手放さない」=マブのいないこんな腐った世界でも俺は欲望(=自分の生きる意味=マブ)を諦めない?

アニメの世界。

レオマブは同じく浅草で警官をしているが、カワウソの指示で欲望を搾取している。

 

時系列は、

 

・カッパカワウソ戦争(1923年 関東大震災)でマブ死亡

マブが「欲望を手放すな」と。「お前は生きろ」と言っている感じでしょうか。

→レオマブ、カワウソに拾われる

・・・

→「ふたりはさらざんまい」の世界線

→?年11月11日〜 レオマブTwitter開始

→?年3月1日  マブ「今日はいつもと何かが違うな」カワウソマークが街に。

3月、その後、カワウソマークが街に増え始める。マブが上からの秘密の指示で忙しくし始める。

→?年3月29日 マブ失踪

・・・

→ カワウソの技術力でマブは機械の心臓を持って生き返る

 *レオがエレベーターを登る時に現代の警官の格好をしているので、マブはそんな目で俺を見ないのシーンはここかな?と。このシーンの後に欲望搾取を始めるとするとしっくりくる。

→?年3月31日 Twitter終了 レオ「こんな腐った世界でも俺は欲望を手放さない」

 →2019年4月11日〜? アニメの世界線

 

 

かな??? 時系列については正直わからん・・・。

Twitterの時系列が普通に2018年〜2019年かと思っていましたが、スカイツリーがない、花やしきのタワーがある、といった背景描写からおそらくもう少し前。

 

この?年の3月から始まる異変(カワウソの侵攻)、そしてマブの失踪、この辺りの時期に現実社会で何か起こったかな? 2011年に東日本大震災があったので、街の異変を東日本大震災と重ねている可能性もありそう。

 

 

*イクニ監督は、ananで「現代は時代の転換期」だと言っているんですよね。

戦後の物質社会があって、それが東日本大震災で崩れて、物質というものの脆さに人々が気付いて、物質よりももっと精神的な、人との繋がりを強く求める社会に移行しているんじゃないかと、そんなことを語っています。

 

やっぱり大震災を時代の転換点と捉えているようですね。

〜江戸時代(精神の時代)→関東大震災→戦争へ、そして戦後(近代科学技術、物質の時代)→東日本大震災→現代(精神の時代)

 

カッパとカワウソの対立というのは、その時代における人間の方向性みたいなものを暗に示しているのかもしれません。

レオマブは、時代に翻弄されながらもお互いを求めるという、正に「ロミオとジュリエット」等の古典で描かれたテーマを男性同士でやろうとしているのでしょうか。

 

 

はあ・・・しかし、金髪で色黒のレオと黒髪眼鏡で色白のマブ、このビジュアルだけでソバ何杯も食べられます!!!

 

 

んで、レオの方が器用で意外としっかり者でマブはちょっと不器用な天然、レオのタバコKOOLの話とかマブが裸エプロン(残念ながら下は履いている)でないと料理できないとか細々とした設定に萌え殺されるんですが。

ふたさらとTwitterでゆるふわを、アニメ本編でシリアスを、両方味わえる美味しさね。

 

 

7話でマッドサイエンティストぽい変態紳士のカワウソにエロいことされるマブをありがとう。

 

 

このエロウソは相当変態レベル高いですよね。2人がお互いを想いあっているのを知っていて、その想いを利用して自分たちの駒として使っているわけですが、レオの望む自分になりたいマブにメンテしてあげて多少の協力?しながらもNTRプレイしているわけです。

 

 

レオは何だかマブに依存しているように思えますね。「自分の中のマブ」に恋しているようなところが感じられます。近くにいるのに、いや近くにいるからこそ相手が見えていない。まさに恋は盲目とはこのことか。

 

 

マブは結構きちんとレオのことを見ていてしっかりと想っているのに、問題はレオの気持ちであり、だからこそOPの映像でもレオ→マブの方向性が出てくるんだろうなと。

 

 

マブのことを大切に想っているのは確かなんですが、「マブがいないと自分はダメなんだ」という気持ちが強すぎて、「1人で逝くなんて許さない」「俺に二度もマブを殺せって言うのか」といった台詞が全て自分の気持ちにフォーカスしていて、何となく相手に執着するあまり自分の気持ちに支配されているような、ある意味燕太くんと似たものを感じます。ややストーカー気質っぽいですね。そんなところがとてもリアルで人間らしいですが。そんなレオに無償の愛を注いでいるのがマブという感じです。

 

 

自分の求めるつながりのために割と何でもするというのは、一稀も燕太も悠もレオも皆同じですね。

 

 

今の所、アニメのレオマブはマブへの想いが強すぎて破滅へ進んでいきそうなレオとそれを分かりつつもレオを大切に思うためレオと心中する覚悟のマブという悲劇にしか見えないのですが・・・そんな中にも二人がお互いに大切に想う気持ちが通じる瞬間が見れたらいいなと、レオマブガチ勢の自分としては切実に楽しみにしてます

 

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RupinTheThirdシリーズ「峰不二子という女」〜異色のダークスタイリッシュルパン〜

 ルパンシリーズは大好きなのですが、最近RupinTheThird(Ⅲrd)シリーズを一気見しました!!

 

prime videoで観れるよ!!

 

 RupinThe Thirdシリーズ第一弾ということで

謎のオープニングで始まる「峰不二子という女」。

wiki先生によると、

テレビアニメ『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』の放送開始40周年を記念し、27年ぶりに連続テレビアニメシリーズとして制作された

・・・シリーズ初の深夜アニメであるため、原作版をリスペクトした前衛的かつエロティシズムに溢れたアダルトテイストの作風となっており、従来の作品では少なかった乳首の露出も多い。ルパン達のキャラクターデザインも原作に近いリアルタッチの風貌で描かれている。ルパン三世のテレビシリーズでは初めて、原作漫画の「♂マークと♀マークを絡ませた濡れ場表現」が登場している・・・

 

とのことですが、wiki先生の言う通り、PG12なのでTKB見えまくりです。

 

オスカーの存在について。ルパンシリーズには珍しく美少年・・・美青年のオスカーというキャラが登場します。しかも銭形のとっつあんを異常なほど慕っており・・・いや・・・愛しています

銭形に抱かれた(!!)不二子を憎んで痰壷等と罵ります。

 

彼は「男性らしさ」を具現化した(と彼が思っている)銭形が好きなので、見るからに「女!!」という感じの不二子は、というか「女性性」は大嫌いなんでしょうね。彼は自分が高潔な人間で純粋に銭形を愛して彼の望みを叶えたいと思っています。しかし不二子は自分を高潔な人間だなんて思っていないしそうなろうともしていない。好き勝手に男と寝るしそれを武器にもするわけです。

 

しかし彼はそれと同時に彼女のようになりたい(銭形に抱かれるような「いい女」になりたい)という願望も持っている。これは彼女の持つ「女性性」や自分の欲望を隠さない部分等も含むのかもしれません。

 

 

この絵柄大好き。音楽も最高。

不条理系映画のような不気味で毒々しい映像も素晴らしいです。

ストーリーはちょっと分かりにくいというか、やや雑かなという感じもしましたけれど、面白かったです。

 

 

というわけで、このアニメは、これ自体は結構面白い、個人的には大好きなのですが、全体を通してみるとちょっとこれはルパンというよりも、江戸川乱歩黒執事パタリロを鍋に入れてごちゃごちゃ混ぜてルパンの登場人物を入れてみた感じというか、そんな感じはしちゃいますね。

ハードボイルドとも違うし、従来のスタイリッシュルパンとも違う。

 

というのも、ルパンって登場人物の心情なんてあってないようなものだったわけですが、それを今回深く描いてるんですよね(だからこそ自分は結構好きなのですが)。

 

ルパンって、結局スーパーマンのルパンがスタイリッシュに活躍するお話であって、人間の業とかそういった深いものは描かない、良くも悪くも浅いエンターテイメントハードボイルドというか、そういうお話だったわけじゃないですか。

だから、私はすごい好きですけれど、古参のルパンファンからしたら何か違うよねという。

 

しかもこのシリーズ全体ではドロドロしたノリなんだけど、単発単発でルパンっぽい話を入れ込んできたりするから、話ごとのノリが全然違うから違和感を感じる人もいるでしょうね。

 

 

しかし、こんなに観るのに疲れるルパンは初めてですわ・・・(褒めてる)。

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「HUGっと!プリキュア」第42話 キュアアンフィ二爆誕~男の子だってプリティーでキュアキュアになれる~

*ちょっと真面目な感じの感想になっております。

 

 平成30122日は歴史的な日となりました。

HUGっと!プリキュア」で男の子キャラである若宮アンリがプリキュア、キュアアンフィ二になったのです。

ハグプリは、これまでに初の男の子プリキュア誕生フラグを散々立てつつも、中々その気配を見せずに来ましたが遂に!!

 

やりましたね・・・。やりましたね!!

 

本話はアンリ回。本当に素晴らしい回でした。

 

 

「一瞬の奇跡」的にプリキュアになっただけではありますが、大きな一歩を踏み出したものといえるでしょう。

プリキュア自体がそもそ女の子も戦いたい、暴れたいというコンセプトで始まったものでした(そして、プリキュアには基本的にはこのコンセプトを一番大切にして欲しいと思っています)が、そこから更に進んで、ハグプリは男の子が可愛い格好をしてもいい男の子もお姫様になれる、というメッセージを伝えてきたわけですが、男の子もプリキュアになれるというのは一応その集大成、あるいは男の子プリキュアを実現するための前準備として、これらのメッセージを伝えてきた、という感じでしょうかね。

 

 

 

これまでは、完全に「強い」、「戦う」、「主役」=男の子「可愛い」「弱い」、「補助」=女の子、というのがメディアの主流でした。主役も大抵男の子のものが多くて、女の子は盛り上げ役、飾り的なものでした。今も言ってみればそれが主流なのに変わりはありません。

 

それが女の子が主役となって戦うアニメができた。そして、それが更に進化して、女の子だけではなくて男の子も従来の枠組みから解放しようというのはとてもよいと思います(男の子向けとされるライダーや戦隊でまずそれを積極的にやるべきで??とは思いますがね~・・・いまだに女装はお笑いで敵ボスも大抵男で男女混合の戦隊でも女の子は大抵補助的な感じですからな・・・)。

 

現実でも、女性は女らしさから解放されつつある。一番変わっていないのは(特に年齢が上の)男性なんだと思います。女らしいとされているものに対して根拠なく下に見る意識、古くはスイーツ笑とか、今はインスタ云々とか、女々しいとか、感情的とか・・・がなくならないと変わらないでしょうね・・・・。

 

 

特に若い世代には、りゅうちぇるみたいに女らしいとされるものについても、自分はそれが好きなんだと堂々と主張する男の子も少し出てきたかなという感触がありますが!!

 

 

メディアは現実世界を映し出す鏡のようなものだと思うのですが、それと同時にメディアがリアルに及ぼす影響って大きいです。良くも悪くも。だから独裁者や独裁政権プロパガンダを大いに活用したし、実際にそれは大いに機能しましたよね。

しかも子どもって大人より吸収しやすく影響されやすい。

子供向けに何を発信するかって本当に大切ですよね。

 

 

子供のいいところは比較的(大人より)「変わりやすい」お堅く言うと「可塑性がある」というところですよね。

ハグプリでも、アンリくんの女性的な服装を見てバカにしたり、妹であるえみるに対して趣味のギターを女の子らしくないと馬鹿にしていた「嫌なメガネ」枠の正人兄でしたが、野々はなに名台詞「人の心を縛るな!!」で説教されたり、自分らしくあろうするえみるやアンリの輝きを見て考えを変えるに至ります。考えを変えるに至るどころか、アンリくんの親友兼マネージャーのような存在になってなんかものすっごいラブラブな感じになってしまったよ・・・。

 

 

 

で、やっと話は元に戻って第42話。

ジュニアフィギュア大会が開催されます。アンリは足の故障のため最後の大会にしようと決意していましたが、大会に向かう途中に交通事故に遭い駄目押しとばかりに選手生命を絶たれるような怪我をしてしまいます。

 

慌てて駆けつけたほまれと正人兄。正人兄が自分が変わってあげたいと悔しがるシーンが胸を打ちます。彼の努力を側で見て支えてきた事もありそう思うのでしょうか。

その後病室でアンリは、「もし・・・していれば」、「もし・・・していなければ」という感情に苦しみ、叫びます。

 

「せめて最後はスケートリンクの上で終わりたかった!」

 

不運な事故などにあった人が皆そう思うもしの苦しみで感情を爆発させます。

 

現実とは、時々こんな絶望的な出来事が起きて、どうしようもなく苦しくなることがあって、未来へ希望なんか持てないことが起こるのです。

 

こんな残酷な現実を見せてくるプリキュア・・・。

 

 

そんな状況につけ込んで敵のクライアス社の幹部リストルが、アンリを味方に引き込もうとします。

なんか弱ってる人に近寄ってきて仲間にしようとするって、現実社会でもよく見るやつや!!

 

 

スケートリンクで、アンリの事故報を知り悲しんでいるアンリのファンたち。ファンたちの悲しんでいる様子を見て、より絶望するアンリ。

ここでリストルが「まずは私が見本を見せよう・・・」みたいなことを言って、猛オシマイダーを召喚します。

 

 

アンリを助けようとするプリキュアたち。

何て言っていいか分からないけど、ほっとけない、と叫ぶ野々はな。

そしてはなはアンリにこう問いかけます。

 

「アンリくんのなりたい自分は」と。

 

「なりたいフィギュアスケーター」ではなく、なりたい「自分」。自分自身です。

はなは、フィギュアの才能があるとか足を怪我したとかそういったその人の属性や才能ではなく、「自分のあり方」を問うんです。

 

 

どんなに絶望的な状況でも「なりたい自分」であろうとすることはできる。

 

 

その呼びかけに対して、アンリが感じたのは、フィギュアを始め、最初はできることが増えていくのが楽しかった。けれど、それ以上に、自分のスケートでみんなが笑顔になることが嬉しかった、ということ。

その気持ちが奇跡を起こして、アンリはプリキュア、キュアアンフィニに変身してリンクを舞います。

 

未来に絶望するのではなくて、自分を応援してくれた人のためになりたい自分を貫くことを決意したわけです。

 

リンクを舞うことで、自分を応援してくれたはなたち、そしてファンの人たちに、アンリの「エールのお返し」。正に、はなたちとアンリの、ファンたちとアンリの、エールの交換

 *もう、この辺りで自分の涙腺やばいことになっています。

 

 

しかし、キュアアンフィニは一瞬の奇跡。

唐突に怪我をしたままの病院着の姿に戻ったアンリが空中から落ちたーーーーー!???

 

ときに音速の勢いで駆け出してきてアンリを受け止める正人兄。

いや、人が落ちる速度って結構ですよね??正人兄の反射神経と運動能力すごない・・・??もう2人でプリキュアやったらよくない・・・??

 

 

その後の病室のシーンもいいですね。

はなとさあやとほまれに対して、それぞれのプリキュアが皆翼に関連しているねと指摘して、窓の外の鳥が羽ばたくのを眺めるアンリ。

 

アンリにとって、プリキュアとは「翼」。

 

 

女の子にとって、(男の子にとっても、か)プリキュアが、自分の属性とか境遇とかそんなことに縛られずに、「なりたい自分」であろうとするための、

「翼」であったら、そんなことを思わせるお話でした。

 

 

フレフレ、世の中の女の子と男の子たち。

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